使い方と例文について
粉骨砕身は、日常生活でも会話でも割と頻繁に出てくるよく使われる言葉の一つでもあります。
主な使い方としては、限界までしっかり可能な限り全力を尽くしていくという一種の努力の表明みたいなものがあります👇
「粉骨砕身して社会や人のために尽くしていく」
「粉骨砕身の覚悟で新たな挑戦に立ち向かう」
「優秀な上司の部下として粉骨砕身せずにはいられない」
会社のため、お客様のためなどとにかく精一杯出来る限りのことをやっていきますという意思表明。
「粉骨砕身の努力を傾注してまいります」
「皆様のご期待にお応えできるよう粉骨砕身努めてまいります」
「粉骨砕身して職務に専念してまいりたいと思います」
仕事で使う場合は、主に自分が取り掛かっている任された仕事、担当している仕事などに対して使われることの多い言葉になります。
粉骨砕身という表現はよく知られていますが、「当たって砕けろ」というような意味で解釈されて誤用されてしまうケースが少なくありません。
確かに、漢字だけで見ると連想できないわけではないですがそれでは全く違う意味になってしまうんですね(;’∀’)
語源について
粉骨砕身の語源は、大乗仏教の派の一つである禅宗の言葉からきているんです(´ω`)
現在の中国が唐の時代だった時にその時の中国の禅僧が記した文献に残されている、禅宗の経典「禅林類纂」に記してあると言われています。
苦労しながら働き、骨を折って身が粉になるまで働き続けるということはとても大変なことですが、仏の恩義にはそこまでしても報いるべきという言葉からきているそうです。
実は、禅の教えはこれ以外にも有名なものが色々とあり、
・日々是好日(ひびこれこうじつ)
・歩々是道場(ほほこれどうじょう)
なんかもあります。
日々是好日は、どんな日であったとしても毎日が最高に良い日であるという意味✨
雨が降っても風が吹いても、その時の状態を味わって気持ちを大事に過ごせばその日はかけがえのない一日になるということです。
歩々是道場に関しては、心がけを意識するだけでどんな環境でも自分を高められる道場になるという意味になります。
個人的には、禅の言葉は知足や両忘などが共感できる部分が多いなと思います(^^)
知足とは、足るを知るということで欲しがることを止めて既に満ち足りていることを知るという意味。
どんな状況でも恵まれているということに常に気付くことはすごく大事ですよね。
両忘は、良いも悪いも好きも嫌いもその両方を忘れてしまうことで、その曖昧さを受け入れることで楽になれるという教え★
人は皆どこかで、どちらかの答えを求めがちなのですがあえてその両方を手放してみるとそのどちらかを選んだ結果よりも良い結果が待っているのかもしれません。
禅の教えに出てくる言葉は、奥が深く日常生活を送る上で忘れたくない常に覚えていたい言葉がいっぱいあったりします(*´ω`*)
最後のページでは、関連した言葉である類語についてご紹介します。
コメント