最近なにかと話題に出てくることが多いLGBTQ。
いろいろな解釈があって、人によってとらえ方も様々だと思う。
私の場合はと言うと、今までの自分の過去の人生を振り返れば、その中で出会ってきたLGBTQの人たちはとっても良い人たちばかりだった。
人とは違った考え方を持っていて発言力があったり、人として尊敬できるところがあって見習いたいと思えるような人だったり。
そんな人たちばかりだったので、自分的には良いイメージしかない。
でも、ニュースとか見ていると当事者からすればたくさん悩んできた経験があって、ずっと苦しんでいる人も多いんだなと思った。
だから、少しでもその心が晴れたらと思いながらこの記事を書いている。
そして、LGBTQは誰でも当事者になる可能性があることも伝えたい。
神様は本当に間違えたんだろうか?
昔、母とテレビを見ていたら何かの番組で椿姫彩菜ちゃんが出ていたことがあった。
男性として生まれその後女性に生まれ変わった、その生い立ちを知った母は「こんなに女の子なのに..神様はきっと間違えたんだよね」と泣きながら見ていた。
その出来事はとっても印象的だったけれど、うっすらと違和感を感じてた。
「神様が性別を間違えたっていうのは違う気がする..」
思えば、この時からLGBTQについて考えるようになった。
いろいろな情報を見聞きする中で、LGBTQとはどんな存在でどういうきっかけで誕生するのかについて知りたくなった。
でも情報を探してもあまり出てこなかったり、しっくりこない。
納得のいかない答えばかりあふれている気がしていたころ、フランスのとあるポッドキャストでLGBTQ特集みたいなものをやっていた。
それが多分、今自分が持つLGBTQの概念の土台になっていると思う。
世界中のLGBTQの例
そのポッドキャストでは、世界中の国にそれぞれ焦点を当て自分が同性愛者になったきっかけについて紹介するという内容だった。
まずイギリスでは同性愛者が多いという話が出ていたけれど、それは寄宿学校での生活の影響が大きいという意見があった。
インタビューに出てきた人たちは、最初から同性が好きだったわけではない。
小さい頃は女の子が好きだったり、特に同性に対して恋愛感情のようなものを抱いていたわけではない。
でも、男性ばかりの寄宿学校で生活を送るうちに女性との接点がなくなり、もはや女性に話しかけたり関係を築くことが億劫になってしまう。
そんな中で、自然と同性に惹かれるようになり恋をし付き合って生涯のパートナーになるというパターンが多かった。
タイもイギリスと同様だった。
タイでは出家して僧侶になる男性が少なくないが、彼らもまた同性愛者が多いという話だった。
やはりそれは、男性ばかりの生活を送るうちに自然と男性を好きになり、同性愛者になっていくという流れが多いのだとか。
変わってネパールはまた少し違っていた。
ネパールでは宗教的な理由から婚前交渉が禁止されているため、男性と女性が結ばれるのは結婚してからだそう。
付き合ってから結婚するまでの禁欲期間が長すぎるせいなのか、男性が妄想し過ぎなのか?
実際に男女が結ばれる日、結婚前に想像していた自分の理想と現実があまりにかけ離れていることにショックを受け、同性愛に走る人が少なくないのだとか。
いや、どういうことだろう。
思っていた快感と違ったために自暴自棄になり、異性ではなく同性に惹かれ始めるという感じなのだろうか…
インタビューに出た人に、女性と初めて結ばれた日を回想してもらうシーンがあった。
「まるで死体と寝ているかのようだったんだ」というまさかの一言が衝撃的過ぎてとても印象に残った。
こういう例もあるんだと、とにかく一例として心に留めておいた。
最後はフランス。
妻と子供がいる男性が、ある日突然母性が芽生え女性として生まれ変わり新しい人生を始めるという内容だった。
男性はそれまで同性を好きになったことが無かったようで、普通に女性と恋愛をし結婚して家庭を築いた。
ところがある日、妻が脱ぎ捨てたストッキングを見てふと履いてみたくなり、履いた瞬間に女性としての感覚が芽生えたそうだ。
この時点で、彼にはもともと女性になりたい願望や女性だという性自認が少なからずあったのではないかと思った。
彼自身がそれに気づかなかっただけで、本当の自分が心の奥底に居たのではないかと。
あるいは、本当に突然女性としての感覚が芽生えたのかもしれない。
その男性は、最初はそんな自分に対して自分自身が驚き、自分が誰なのかわからなくなり、錯乱状態から命を絶つことも考えたそう。
でも、その後しっかり自分と向き合い、家族と話し合い、家族の協力もあって女性として新たな人生をスタートする。
そんなハッピーエンドで締めくくられた。
LGBTQは誰でも当事者になる可能性がある
それまで私は、同性愛者というと小さい頃から、物心ついたころにはすでに同性が好きだという自覚があるものだと思っていた。
でも、ポッドキャストを聞いて思ったのが皆が皆そういうわけではないんだなと。
異性が好きだったのに、ある時何かがきっかけで同性が好きになったりその逆もまた然りで。
一番つらいのは、自分自身が自分の気持ちに気づけないことなんじゃないかと。
だから、子供の頃から自覚があった人は、自分の気持ちに気づけたことを誇りに思って欲しい。
ちゃんと自分自身に向き合ってきたという証拠だと思うから。
繰り返しになるけれど、ポッドキャストを聞いて思ったのは人生の途中でそれまで異性が好きだった人が、同性を好きになることもある。
つまり、誰もがLGBTQの当事者になる可能性があるのだ。
だから他人事と考えず、自分事として考えることができれば自分がいざ当事者になった時に自分を傷つけなくて良いし、ほかの人も傷つけずに済むんじゃないかな。
mio的見解
いろいろな話を聞いて最終的にいきついた私の仮説がこれだ。
本来の人の姿は、同性も異性も愛せる両性愛で、つまりバイの人たちが人間の自然な姿なんじゃないかという結論に至った。
異性愛の人も同性愛の人も、自分自身が両性を愛せることに気づいていないのだ。
この事実に気づいているのは、両性愛のバイの人たちだけってこと。
でも、気づけば良いっていう話ではないし、気付かなきゃダメってことでもない。
ただ、自分の人生でそれに気づく出会いがあったかどうかの話だ。
LGBTQの人たちは、人生で自分自身との新たな出会いがあった人たちなんだと思う。
そして、誰もがその可能性を持っている。
同性だろうが異性だろうが、人を好きになるってとっても素敵なこと。
どの人にも、その人にとっての幸せがやってきますように。
そう願ってこの記事は終わりにしたいと思う。
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