ジェリーさんは、2年兵役を務め除隊した後大学に復学して卒業した。
出身はテグだけど、大学はソウルの大学だ。
同じ大学には、芸能人にハンガインやコンユなどが居る。
ジェリーさんが言うには、ハンガインは全く可愛くなかったそう。
だから、芸能人になったと知った時とても驚いたんだとか。
しかし、コンユはすごく格好良くて大学でも当時すでにモテていたと言っていた。
その後、カナダに1年留学して3人いる姉のうち2番目の姉と一緒にアパートに住み、仕事を求めてアメリカへと渡った。
ジェリーさんの専攻は食品栄養学科だった。
大学を卒業する時に調理師の資格を取得し、アメリカでは色々なホテルの厨房で料理人として働いていた。
だから料理が得意ですぐに何でも作ってくれたのだ。
特に得意とするのが、和食とフレンチの創作料理だった。
アメリカでは料理人として働きながら、3年過ごした。
今まで出会った外国人で一番優しかったのがアメリカ人、というくらいアメリカが気にいっていたようだ。
しかし、とある事件がきっかけで逃げるような形でアメリカを去ることになる。
その事件とは、ドラッグだ。
当時、ジェリーさんにはカナダで知り合って出来た彼女が居た。
その彼女は、カナダでの留学を終えたら韓国に戻った。
単身アメリカに渡ったジェリーさんには、あまり友人もおらず毎日仕事仕事で次第に寂しさで心が埋め尽くされるようになっていたとか。
そんな時、同じ職場で働くアメリカ人の友人にちょっと吸ってみないか?と話を持ち掛けられた。
それがコカインだった。
でも、本当の怖さをよく理解していなかったジェリーさんは
「これで寂しさを埋められるなら、ちょっとだけ試してみても良いかも…」
と思いそこから堕落した生活を始めてしまう。
最初は使うとスッキリするし心も落ち着いた。
というよりハッピーな気分になったのだ。
でも、それは最初の数回だけだった。
使用頻度が増えるにつれて、なぜか段々使わないと体がだるくなり頭が回らなくなる…使った後にふと散らかった部屋の床を見ると、驚くほど大量の虫が居て驚いた。
ゴキブリのような大きな虫が、自分めがけて飛んでくるのも見えた。
そう、これらは全て幻覚である。
でも、使わないとイライラするようになり、話を持ち掛けたアメリカ人の友人にもっと沢山の量を渡してくれとせびるようになった。
ジェリーさんいわく、その友人にはまだ良心があったのでこれ以上はダメだと断られたと言う。
そんなある日、韓国からアメリカに両親が遊びに来てくれた。
末っ子で単身アメリカに渡った一人息子がずっと心配だったのだろう。
その時、久しぶりに会った両親を見て自分が間違ったことをしたことに気付いたのだった。
ジェリーさんはやせ細り、10キロ以上も体重を落としてガリガリになってしまった。
仕事もろくに出来ない状態だった。
ジェリーさんの両親は、息子の痩せこけた姿を見て、仕事のし過ぎで疲弊しやせ細ってしまっているのだと思ったようだった。
ジェリーさんはそれがドラッグのせいだと気づかれないようにするために、必死に元気に振る舞った。
心の中では、両親に迷惑かけたくない。
でも、このままじゃ死んでしまうかもしれない…そう思った。
だから、なんとか生きるために残りの力を振り絞って逃げるようにアメリカからオーストラリアに渡ったのだ。
オーストラリアでは、主に船でビュッフェを提供する料理人として働いた。
海外では、独身最後の夜を楽しむバチェラーパーティー文化がある。
そのパーティーは船上で行われることも多く、好き放題やって騒ぐのを散々見てきたらしい。
マリファナをやりながら娼婦を呼んだりとか、普通にやっちゃうと言っていた。
その頃ジェリーさんは薬を断つために、ひたすら仕事に打ち込んできた。
1日16時間は働き、寝る時間は毎日3・4時間で残りの時間を勉強に使っていたそうだ。身を粉にして働いたおかげで、月50万ほど稼いでいたらしい。
しかし、オーストラリアの家賃が高かったためルームシェアをする必要があった。
そこで、一軒家をオーストラリア人のカップル2人と借りることになった。
そして、もう一人の同居人として一緒に住むことになったのがソイのお兄さんだ。
それからジェリーさんとソイのお兄さん、オーストラリア人カップルの4人での生活が始まった。
当時、ジェリーさんには一つの目標があった。
それは、シドニーナンバーワンとも言われ世界のベストレストランランキングトップ10に入ったこともある有名レストラン「てつや」で働くことだ。
でも、てつやで働けるのは世界で活躍する有名シェフだけ。
だから、ジェリーさんが雇ってもらうことは不可能だったのだ。
それでもジェリーさんは諦めたくなかった。何とかして、てつやで働きたかった。
だから、50回ほど手紙を書いてなんとか働かせてくれと頼み込んだ。
その思いが通じたのか、なんとか働かせてもらうことになったのだ。
もちろん無給なんだけれど。
でも、実は入ってからの方が大変だった。
人間合う合わないあるものだが、それは調理場も同じだったのだ。
とにかく新人いびりするイギリス人、女性にだけ優しいフランス人、他人にあまり興味を示さない日本人…
そんな中で、働いて帰ったら疲れて寝るだけでまた次の日が始まる。
そんな日々を送っていた。
ジェリーさんの腕には大きな火傷の傷があった。
それはどうやら、意地悪なイギリス人にわざと熱湯をかけられたかららしい。
熱湯かけるって…傷害罪じゃん、犯罪だよ。
そんなことを普通にやってしまうなんて、男性ばかりの調理場も戦場なのかなと想像した。
それでも、ジェリーさんは一度他のシェフにてつやの一押しメニューであるサーモンの料理を食べさせてもらったことがある。
十分食べられるものではあったが、クオリティ的にお客には出せないレベル。
捨てるしかないから食べても良いよ、そう言われ食べてみたら、もうこの世の食べ物とは思えないほどに本当に美味しかったそうだ。
そのサーモンの為だけに、人々は行列を作って並び予約は半年先まで埋まっている状態。
無給ではあったけれど、もう経験できないことをさせてもらった。
本当に貴重な時間だったし、料理人として大切なことを沢山学ばせてもらったと言っていた。
そんな異次元な話を聞いていると、自分が経験したこともないことをすでに体験したような不思議な気持ちに包まれた。
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